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  昔、南蛮人の渡来により長崎に伝えられたガラスの製造技法が、江戸時代末期に 長州藩・萩でも始まりました。
  1860年5月、中嶋治平の提唱により八丁南園(現・萩自動車学校敷地内)にガラス製造所が設置されました。また、ガラス職人である西宮留次郎(にしのみやとめじろう)を江戸から招き、留次郎の弟子で大坂の職人の長蔵(ちょうぞう)が雇い入れられ、その年の8月7日にガラスの製造を開始しました。
  ガラスは玻璃・瑠璃・ギヤマン・ビードロ等と呼ばれていて、貴重品扱いされ、江戸や大坂から招いたガラス職人集団たちで見事な『切り子ガラス』の製造をしていました。当時、組織としてガラスを製造していたところは全国では長崎・大坂・美濃・江戸・薩摩・長州・福岡・佐賀の8ヵ所のみであり、萩も立派なガラスの産地の一つでした。特に、長州藩の製品は水晶石を使用していたために透明度が非常に優れており、京都の公家や朝延への献上品として特別珍重されたという記録が残っています。
  長州藩の産業として順調に繁栄するかに見えた萩ガラスの終わりは突然にやってきました。1866年4月、火災により萩ガラス製造所が焼失、同年中嶋治平が病死したことで再建されることなく幕を閉じたのです。



生没年 : 文政6(1823年)− 慶応2(1866年)
享    年 : 44 歳
誕生地 : 長門国萩浜崎新町(萩市)
   墓     : 萩市北古萩町(浄国寺)

  萩市浜崎新丁に朝鮮通詞 中嶋正貞の長男として誕生する。彼は幼少の頃から朝鮮語・蘭語・英語を修め、蘭人医師ポンペに師事して究めた医学で、コレラ流行時には萩を救った。また、蘭人技術者ハルデスから蒸気機関学理論や冶金学などを学び、我国で最初に蒸気機関車を運転し、羊を飼育して羅紗を織り、染め物の研究に没頭した。
  一方では高杉晋作に共鳴して苦境を救い、まさに維新の激動時に科学で未来を見据えていた萩の誇る先覚者であった。その彼が萩の地で研究した一つに「萩ガラス」がある。


中嶋治平の墓

中嶋治平の記念碑




  途絶えていた伝統の萩ガラスの歴史は、1993年に萩ガラス工房 藤田社長さんが復活させました。 古文書を紐解き、残された治平遺品を手掛かりに、打ち捨てられた笠山産の石英玄武岩を最先端の技術と感性で造りだしたのです。約130年の時を経てよみがえった萩ガラスは、中嶋治平の夢を受け継ぎ、最先端技術との融合を図りながら、新たな物語をつむいでいます。



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