泉流山は萩の名窯として伝統的な精神や文化を重んじ、何よりも「本当の萩焼らしさ」を大切にしてきましたが、昭和の中期〜後期に大きく変革を遂げることになります。
当時当主として経営にあたった「吉賀大眉」は萩焼の持つ芸術性を追求し、独自の造形により「美術品としての萩焼」を確立、陶芸界に大きな足跡を残しました。
平成3年、文化功労者・芸術院会員でもあった大眉の死去により、その業績を讃え「財団法人・吉賀大眉記念館」が認可され、同敷地内に開館しました
これにより現在では「窯元」と「美術館」が共存する文化的な場所となっています。 |