博文の誕生
  天保12年(1841)9月2日、周防国熊毛郡束荷村(山口県光市)に、
父:林十蔵、母:琴子の長男として生まれた。幼名は、「利助」といった。
父は農業を営みながら、庄屋の元で畔頭(庄屋の下役)として働いていた。
しかし、家は貧しかったため博文が6歳の時、父は志を立て弘化3年(1846)
に単身で萩に出た。博文は母の実家に移り住み、父から萩に呼び寄せられる
9歳まで、いたずら好きだが機転の利く子供として幼年時代を過ごした。
萩での暮らし
萩に呼び寄せられることになったのは萩で十蔵が長州藩の軽卒(中間、最も
身分の低い武士)水井武兵衛の家で下働きをしており、嘉永2年(1849)暮らし
が少し楽になり母と萩に移ることになったのだ。萩に移ってから博文は、
家の
暮らしを助けるために、他の家の手伝いをした。
そして11歳の時、博文は
母の親戚にあたる法光院(現在の円政寺)
の住職に預けられ、寺の手伝いをした。
この頃の博文は、仕事の合間に読書や習字に励んだ。
伊藤家の養子に
博文が13歳の時、父十蔵は、雇われ先の武兵衛に認められ、
家族そろって養子になった。武兵衛が姓を「水井」から「伊藤」に変えたため、
博文も伊藤と名乗ることになった。このとき、「利助」から「俊輔」に名を改めた。
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参照:雑誌「YAMAGUCHI(長州ファイブ)」
伊藤博文旧宅
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幼い博文が、周防大島の束荷(光市)から、萩に来て家族で伊藤家の養子になった時、住んだ家。
〜伊藤博文旧宅〜
●山口県萩市椿東1511-1
●0838-25-3139
●萩循環まぁーるバス(東回りコース)
「松陰誕生地前」バス停より徒歩5分 |
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