初代内閣総理大臣
1884年に参議兼宮内卿(大臣)となった博文は、政府のかたちをそれまでの
日本古来の太政官制度を止め、西洋にならった内閣制度に改めた。
内閣制度とは内閣総理と各省の大臣で内閣を創り、政治を行う制度のことである。
1885年に自ら初代内閣総理大臣になり、日本の政治の最高点に上りつめた。
総理になった博文は、憲法草案作りに取り掛かった。
何度も何度も修正を加えながら1888年4月に、およそ2年の歳月をかけて完成させた。
草案ができると博文は、草案を審議するための枢密院をつくり
自ら枢密院議長になった。博文が目指した憲法は、天皇中心の憲法であることと、
憲法によって政府の力を強めることだった。
大日本帝国憲法の発布
1889年2月11日、憲法草案は枢密院で審議された後、
大日本帝国憲法として発布された。
憲法ができ、国会開設の準備が整ったことで国としての体裁が整い、
これまで上手く進まなかった外国と結んだ不平等条約の改正への手がかりができたと博文は思った。
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参照:雑誌「YAMAGUCHI(長州ファイブ)」
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