実は、松下村塾は元々現在の松陰神社の場所にあったわけではなかった。吉田松陰の叔父である「玉木文之進(たまきぶんのしん)」が
松本村の自宅(現在の椿東の中にある)で近所の子供たちを集め教育をしていたこの場所を
「松下村塾」と名付けたことが起こりだった。
松本村の松下村塾が閉塾した後、松陰先生は、実家の杉家の土地内にあった、小舎(現在の松陰神社に位置する)を八畳一部屋の新たな松下村塾に作り変えた。 この塾でこそが松陰先生が優秀な人物を生み出した場所だった。
1.クラスわけはない
ここに通う塾生は老若男女、年齢問わず通っています。
▼塾生の年齢構成について
2.時間割もない
いつも決まった時間に授業があるということではないので仕事を終えた後や家事の合間等の各自都合の良い時間帯に塾に行くことが可能。
3.ここには教科書もない
誰もが書物などを自ら選んで学ぶという基本自習という形だ。 。疑問に思ったことは松陰先生に聞いたりします。そこを解説したりする中で他の塾生にも聞いてもらう為に講義をしたりていた。
感想
このように義務教育ではなく基本自由で生徒が気軽に塾に通えるような、環境というところが良い教育法だったのだろうと思った。
出典『松下村塾 吉田松陰と塾生たち』編集:萩博物館
発行:萩まちじゅう博物館出版委員会
引用
その日の出来事や記念日、歴史ウラ話を楽しくわかりやすく紹介する歴史ブログ【今日は何の日?徒然日記】
管理人:羽柴茶々さん より
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