吉田松陰 年表
1830年 8月4日
・杉百合之助(すぎ ゆりのすけ)の次男として生まれる(幼名:虎之助)
1834年
・吉田大助(よしだ たいすけ)の仮養子になる
1835年
・吉田家を継ぐ
・玉木文之進(たまき ぶんのしん)より『孟子』を学ぶ
1838年
・家学教授見習いとして明倫館に出勤
1839年
・明倫館で初めて家学を教授する
1840年
・11歳の時に藩主‐毛利慶親(もうり たかちか)‐の前で『武教全書』を講義する
1842年
・玉木文之進が後見となる
1843年
・玉木文之進が後見をとかれる
1845年
・山田亦介(やまだ またすけ)に入門し、長沼流兵学を学ぶ
1846年
・長沼流兵学の免許を受ける
1848年
・独立の師範となる
1849年
・藩命により海岸防備の実状調査をする
1850年
・九州遊学にでる
1851年
・江戸遊学にでる
・東北遊歴にでる(同行する宮部鼎蔵らとの約束を守るために、藩の通行手形の交付を待たずに出発。つまり脱藩した)
1852年
・帰藩を命じられる
・「松陰」の号を使い始める
・亡命罪で杉百合之助のはぐくみ(身柄預かり制度のこと)となる
1853年
・諸国遊学にでる
・浦賀へ行きペリー艦隊をみる
1854年
・下田で密航しようとするが失敗に終わる
・野山獄へ投じられる
1855年
・野山獄で『孟子』の講義を始める
・出獄し杉家に幽閉される
1857年
・松下村塾を主宰する
1858年
・松下村塾と嚶鳴社(おうめいしゃ)が対立し、月性が調停する
・塾生らの奉仕により松下村塾が増築される
・間部詮勝(まなべ あきかつ)の暗殺計画を立てる
・再投獄命令がでる
1859年
・江戸へ護送される
・処刑される(30歳)
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