松陰のいきすぎた行動
桂小五郎(木戸孝允)は、江戸にいる久坂玄瑞や高杉晋作から「安政の大獄の最中なので、松陰の過激な言動を止めさせ、これ以上幕府から疑いの目を向けられないように、松陰をなだめてほしい」と頼まれていた。小五郎が、「今は何事も自重するように」と言うと、小五郎に対して、松陰は不快感を示した。
松陰は、12月26日、再び獄に入れられた。
絶交をもちかける。
安政6年(1859)、松陰のことを思った小五郎は、塾生たちと連絡を絶たせようと考えた。松陰の立場がさらに悪くなることを防ごうとしたためだった。
小五郎は、松陰の兄梅太郎に、「諸友と絶交せよ」と伝言を頼んだ。後に松陰は、その時の心情を晋作に宛てた手紙の中で、「桂は情に厚い男だ。桂の言うことにしっかりと耳を傾けようと思う。僕のことを思っているに違いないから」と素直な気持ちを書き綴っている。
小五郎27歳、松陰30歳の出来事である。
(月刊松下村塾引用) |