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大照院には、毛利の初代藩主と偶数代の藩主のお墓があります。一方、東光寺には,奇数代の藩主のお墓があります。それはなぜでしょうか?実は、東光寺は昭穆制という中国の形式を取り入れているからです。昭穆制の「昭」は偶数代をあらわし、「穆」は奇数代をあらわしています。 ちなみに1代目は天樹院にまつられていましたが現在天樹院は廃寺になっているので大照院に移動しています。
ところで、東光寺と大照院はなぜこんなに離れているのでしょうか?それは、戦争時の砦とするためです。萩は三角州で、昔は橋が一本しかなく、敵が攻めてきたときに三角州内に敵が入れないようにしていました。 そのため東光寺と大照院は、その橋や萩全体を守るために、離れたところに建立されました。 |