円政寺は真言宗御室派のお寺です。
円政寺は大内氏の祈願寺で昔は山口市にありました。
大内氏が滅亡した後、円政寺は毛利氏とともに萩に移りました。
門前には「高杉伊藤両公幼年勉学之所」と刻んだ石碑が建っています。
境内には十二支彫刻の欄間で知られる金毘羅社があり、
神仏習合の形態が見られる点で貴重なお寺になっています。
円政寺に関係のある偉人たち
▼伊藤博文:1841年(天保12年)生誕
博文の母親は円政寺の住職と従兄妹の関係
だったので、博文はここに預けられていた。
吉田松陰の友人であった来原(くりはら)良蔵
が勉強を見てくれていました。
当時勉学に使用していたレンガの硯やしょいこ
は円政寺に展示してあります。
▼高杉晋作:1839年(天保10年)生誕
子供の頃、円政寺にある天狗の恐ろしい表情に
ひどく恐れを感じていた晋作に母が
「強い子に育てたい。度胸をつけたい。」
という意味をこめて、毎日円政寺の天狗の前に
立たせたといいます。
高杉晋作と伊藤博文が遊んだ木馬
高杉晋作と伊藤博文は幼少期、
近所の遊び友達でした。当時は木馬の上に乗ったり
頭をなでたりしていたそうです。
トップページに戻る >>円政寺の歴史 >>金比羅社について >>天狗について >>灯篭について