萩焼の歴史は、今から約400年前(1604年)にまでさかのぼります。
豊臣秀吉の文禄・慶長の役(1592〜1598年)で朝鮮の陶工・李勺光(リ シャクコウ)と李敬(リ ケイ)の兄弟を伴って帰国し、毛利輝元が安芸の国(広島)で2人を預かりました。1600年の関ヶ原の戦いで敗れた毛利輝元は、領地を中国8か国120万石(現中国5県)から周防・防長の2か国36万石(現山口県)に減らされ、居城を萩の地に移すことになり、これとともに2人の兄弟も萩の地に住まわせました。 城下で御用窯を築いた兄弟が作ったものは当初、朝鮮半島の高麗茶碗に似ていましたが、1661年以降には高麗茶碗のほかに織部、お手本風以外の楽焼(手とへらだけで成形された陶器)の作風が加わって多様化し、萩焼独特のものが焼成されました。 |