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古来

萩焼の歴史は、今から約400年前(1604年)にまでさかのぼります。
豊臣秀吉の文禄・慶長の役(1592〜1598年)で朝鮮の陶工・李勺光(リ シャクコウ)と李敬(リ ケイ)の兄弟を伴って帰国し、毛利輝元が安芸の国(広島)で2人を預かりました。1600年の関ヶ原の戦いで敗れた毛利輝元は、領地を中国8か国120万石(現中国5県)から周防・防長の2か国36万石(現山口県)に減らされ、居城を萩の地に移すことになり、これとともに2人の兄弟も萩の地に住まわせました。
城下で御用窯を築いた兄弟が作ったものは当初、朝鮮半島の高麗茶碗に似ていましたが、1661年以降には高麗茶碗のほかに織部、お手本風以外の楽焼(手とへらだけで成形された陶器)の作風が加わって多様化し、萩焼独特のものが焼成されました。

現在

萩焼の技術は、1957年に文化財保護法に基づく選択無形文化財に選択され(保持者は十二代坂倉新兵衛)。1970年には三輪休和(十代三輪休雪)、1983年には三輪壽雪(十一代三輪休雪)がそれぞれ人間国宝重要無形文化財保持者)に認定され、2002年1月には経済産業省指定伝統的工芸品の指定を受けました。


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毛利輝元(もうりてるもと)

安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名。豊臣政権五大老の一人であり、関ヶ原の戦いでは西軍の総大将として擁立された。長州藩初代藩主

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御用釜

江戸時代に、藩が殖産や専用の製品を作らせるために開いた窯のこと。

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高麗茶碗(こうらいちゃわん)

16世紀半ば頃から、日本の茶道で用いられた茶碗の分類の一つであり、朝鮮半島で焼かれた日常雑器を日本の茶人が賞玩し茶器に見立てたものである。高麗茶碗の「高麗」とは「朝鮮渡来」の意であり、「高麗茶碗」と称されるもののほとんどは高麗時代ではなく、朝鮮王朝時代の製品である

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選択無形文化財

重要無形文化財以外の無形文化財のうち、記録・保存・公開に関する経費の一部に公費による補助を充てることができるもの。文化庁長官によって選択される。正式名称は記録作成等の措置を講ずべき無形文化財という。(Wikipedia参照)

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