1833(天保4)年
0歳
藩医和田昌景の次男として生まれる。
1840(天保11)年
7歳
桂九郎兵衛孝古の養子となり、桂家の家督を相続する。
1841(天保12)年
8歳
養父母が亡くなったため実家に戻る。
1842(天保13)年
9歳
長州藩士岡本栖雲の塾で学ぶ。
1845(弘化2)年
12歳
明倫館で佐々木源吾に漢学を学ぶ。
1849(嘉永2)年
16歳
吉田松陰に兵学を学ぶ。
1852(嘉永5)年
19歳
江戸に出て、斎藤弥九郎の主催する練兵館に入門する。
1853(嘉永6)年
20歳
江川太郎左衛門英龍に西洋兵術を学ぶ。
1854(安政元)年
21歳
3月、相州警備に就く。11月、ロシア艦を見学するために下田へ行く。
1855(安政2)年
22歳
西洋軍学や造船術を学ぶ。
1856(安政3)年
23歳
「丙辰丸」を完成させる。
1858(安政5)年
25歳
大検使となり江戸番手を命ぜられる。11月帰国。
1863(文久3)年
30歳
幕府軍艦奉行並の勝海舟と出会う。
1864(元治元)年
31歳
池田屋事件を逃れる。
1865(慶応元)年
32歳
木戸寛治と改名。坂本龍馬と下関で会見する。
1866(慶応2)年
33歳
西郷隆盛らと薩長同盟を結ぶ。
1868(明治元)年
35歳
「五箇条の御誓文」の起草に参加。
1870(明治3)年
37歳
岡部家の養女、幾松と結婚する。
1871(明治4)年
38歳
岩倉使節団副使として欧米に行く。
1873(明治6)年
40歳
ヨーロッパから帰国。
1875(明治8)年
42歳
持病の頭痛に襲われ、半身不随となる。
1876(明治9)年
43歳
内閣顧問となる。
1877(明治10)年
44歳
病気再発。5月26日、死去。