文政
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1819年(文政2年)
1837年(天保8年)
1838年(天保9年)
1839年(天保10年)
1840年(天保11年)
1843年(天保14年)
1844年(弘化元年)
1846年(弘化3年)
1849年(嘉永2年)
1853年(嘉永6年)
1858年(安政5年)
1859年(安政6年)
1863年(文久3年)
1864年(元治元年)
1866年(慶応2年)
1867年(慶応3年)
1869年(明治2年)
1871年(明治4年)
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2月10日、長州藩江戸麻布邸で生まれる。
幼少期の名前は、猶之進(ゆうのしん)。
第13代藩主になる。
初入国する。
村田清風を中心に「天保の改革」を行う。
倹約令を出す。
萩郊外の羽賀台で大軍事演習を行う。
米蔵を開いて藩内の貧しい人たちに米を1俵ずつ配る。
「藩の政治がよい」と幕府から表彰される。
藩校明倫館の拡大・移転し、自ら開校式に出席する。
ペリーが浦賀(神奈川県)に来航。長州藩は現在の神奈川県である相模国(さがみのくに)の警備を命じられる。
天皇が敬親への信頼を記した「戊午の密勅(ぼごのみっちょく)」が届く。
左近衛権中将(さこのえごんちゅうじょう)に任命される。
御所で天皇に面会し、杯と剣をいただく。
藩庁を山口に移す。長州藩が下関で外国船を砲撃をする。
「8月18日の政変」によって、長州藩は京都に追われる。
三家老に率いられた長州軍が「禁門の変(蛤御門の変)」を起こす。敬親父子の官位が奪われる。第一次長州討伐が始まる。
薩長同盟を結ぶ。第二次長州討伐(四鏡戦争)に勝利する。
幕府を武力で倒す命令である討幕の密勅(とうばくのみっちょく)を受け、薩摩藩などとともに藩兵を上京させ、王政復古を成功させる。
この定広(さだひろ)とともに、再度、官位を受ける。
薩摩、土佐、肥前の三藩とともに版籍奉還を申し出る。10万石を贈られた後、隠居する。
新政府に金70万両を献上する。
3月28日、山口の野田御殿で死去。
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