旧宅各部屋の大きさは6畳1室、5畳半1室、4畳半1室、3畳3室、2畳1室の7室に 玄関土間で、風呂場と便所が屋外にある典型的な下級武士の住宅です。 伊藤博文の学業時代をしのばせる貴重な史跡なので、国の史跡に指定されています。
旧宅は木造茅葺き平屋建て、29坪の小さなもので、 萩藩の中間水井武兵衛(のち伊藤直右衛門と改名)の 居住であったが、安政元年(1854年)に博文の父林十 蔵が一家をあげて伊藤家に入家し、ここに居住することになりました。
その後、博文は17歳の時吉田松陰の門(松下村塾)に 入って教育を受け、尊皇攘夷運動の志士として活躍しま した。明治元年(1868年)博文が28歳で新政府に出仕 するまでの14年間ここが生活の本拠となりました。 しかし、志士としての活躍や英国への留学など、この家 でのんびりする時間はあまりなかったようです。