木戸孝允について
御誕生
生まれは、長州藩医の和田家の次男として誕生。(1833年 6月26日)
桂家へ
桂家の養子に入り、桂小五郎を名乗る。(1840年 8歳)
明倫館
藩校の明倫館で吉田松陰から教えを受けた。ただし松下村塾には通っていない。(1849年 16歳)
練兵館塾頭
江戸では、三大道場の一つ神道無念流の練兵館に入門し、斎藤新太郎の指導を受けた。その後、一年で免許皆伝を取得し塾頭となった。このことから、木戸の剣術の腕前は、相当なものだったといわれている。(1853年 21歳)
禁門の変
会津藩主松平容保の排除を目的として、挙兵。しかし、戦いに敗れ但馬出石に潜伏する。(1864年 32歳)
薩長同盟
薩摩、長州両藩の間に結ばれた同盟。坂本龍馬らが仲介し、西郷隆盛と会談ののち同盟を結ぶ。(1866年 34歳) 五箇条のご誓文 戊辰戦争の最中、木戸の発案から五箇条のご誓文が布告された。内容は「身分に関係なく政治に参加し、天皇中心に日本を発展させる」というもの。(1868年 36歳)
版籍奉還と廃藩置県
版籍奉還とは、それまで藩のものだった土地と人を天皇に返還すること。 廃藩置県とは、藩を廃止し新たに府県を置くこと。これにより大きな反発があったが、木戸は欧米列強に追いつくためにはこの二つの政策が必要不可欠とし、断行した。(1871年 39歳)
晩年
台湾出兵が決定すると、これに抗議して参議を辞職。翌年に復帰するが体調不良に悩まされる。(1874年 42歳) 死亡
西南戦争の最中症状が悪化し没する。(1877年 45歳)
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