萩城下町
旧萩城の外堀から外側に広がる城下町は、町筋は碁盤目状に区画され、中・下級の武家屋敷が軒を連ねていました。現在でも町筋はそのままに残り、往時の面影をとどめています。白壁となまこ壁や黒板塀の美しい町並みが続き、維新の志士ゆかりの地が点在しています。 平成27年度7月 世界遺産に登録されました!
萩城跡
萩城は慶長9年(1604)に毛利輝元が指月山麓に築城したことから、別名指月城とも呼ばれています。 明治7年に建物は全て解体され、現在は石垣と堀の一部が昔の姿をとどめ、ここ一帯は国の史跡に指定されています。 また、春にはおよそ500本のソメイヨシノが咲き誇る桜の名所となっています
萩反射炉
反射炉は、鉄製大砲の鋳造に必要な金属溶解炉で、萩藩の軍事力強化の一環として導入が試みられました。
現在残っている遺構は煙突にあたる部分で、高さ10.5mの安山岩積み(上方一部レンガ積み)です。萩反射炉は試験炉としての性質をもった、当時の試行錯誤による産業化を示す資産です。
平成27年度7月 世界遺産に登録されました!
松陰神社
明治維新の先覚者吉田松陰が主宰した私塾。 松陰は海防の観点から工学教育の重要性をいち早く提唱し、自力で産業近代化の実現を図ろうと説きました。
松陰の教えを受け継いだ塾生らの多くが、のちの日本の近代化・工業化の過程で重要な役割を担いました。
平成27年度7月 世界遺産に登録されました!
高杉晋作誕生地
幕末の風雲児・高杉晋作の誕生地です。 晋作は、天保10年(1839)に高杉小忠太の長男として生まれました。藩校明倫館に通う一方で松下村塾に通い、頭角を表し、久坂玄瑞と並んで「松門の双璧」と称されました。
翌文久3年(1863)に身分を問わない軍事組織“奇兵隊”を結成。討幕戦を勝利へと導きましたが、胸の病が悪化し、慶応3年(1867)結核のため、27歳と8ヶ月という若さでこの世を去りました。
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